老眼/緑内障について
私が眼科の研修医だった20年前から現在までの間に、他の医療分野でももちろんそうですが、眼科でもめざましい進歩がありました。白内障手術はその中の一つです。その頃の手術を知っている者にとって最近の方法は、まるで魔法のようにすら感じられます。その一方で、「初年前と何も変わっていない」としか言いようのない領域もあります。それが「老眼」であり、「白内障、緑内障の原因究明」であり、「緑内障の治療法」であるわけです。老眼は「防ぎようのないもの」「眼鏡で解決するもの」としてまったく関心を払われませんでした。白内障は、手術法では劇的な進化をとげましたが、眼科医の関心はどうしても、「いかに早く、手際よく手術するか」という点に集まってしまい、「手術で解決できるのだから、原因究明などおわりにどうでもいいではないか」、という雰囲気さえただよっています。それに対して緑内障は初年前も現在も失明率の高い厄介な病気です。その治療法は、ただひたすら「眼圧を下げること」に向けられ、そのための目薬が新たに213開発されたのが進歩といえば進歩ですが、根本的な解決にはほど速い状況です。そのうえ、近年では「正常眼圧緑内障」という、いままでの「'繰内障H眼圧が高い」という常識をくつがえすような人達が意外に多いということが分かり始めましたが、有効な治療法がはっきりしないまま旧来どおりの「とにかく眼圧を下げる」という手段で対処しています。これらのことはすべて本文の中に書いたとおりです最近、「歩くこと」が注目されています。歩く時間を増やすだけで高血圧や動脈硬化などが予防されたり、初期の糖尿病が改善するとさえ言われています。本来、「歩くための器官」である足を本来の目的どおりに使うことで、全身の健康が保たれたり改善したりするわけです。これは、初年前にはほとんど知られていなかったととのように思います。一方、眼についてはどうでしょう。眼はもちろん「見るための器官」です。しかし、単に「見るだけ」では「立っている」だけで「歩くこと」にはならないように思えます。眼にとっての「歩くこと」というのは、「遠くを見たり近くを見たりすること」だと私は考えます。つまり、眼も「遠くを見たり近くを見たりする」という本来の目的どおり使えば、眼球全体の健康が保たれるのかもしれません。それが私の仮説の骨子です。長時間、本を読み続けたりコンピューター画面から眼を離さなかったり、また、早くから老眼鏡を使い始めたりすることは、「歩けるのに歩かない」のと同じ状態と言えます。いずれの場合も、そのために眼球のどこかに変調が起きるような気がします。今では歯磨きの効果を疑う人はいないでしょう。「入れ歯の技術が進歩しているから、歯がなくなっても構わない」と言う人はあまりいません。何十年か先に私の「調節トレーニング」も、歯磨きと同じように世界のいたるところで「日常のありふれた習慣」の一つになっていることを夢見て、この試みを続けていきたいと思います。
参考サイト老眼